ミンガラ市場は日本人墓地だったか?

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4 レスポンス

  1. こやま より:

    ミンガラドン空港に近いところにある日本人墓地。奥左手側の「野澤某の墓」とか「ナカ子の墓」と書いてある墓石。
    名前や苗字がなくてもきちんと改葬されて良かったねと言うべきか。明治44年と読める墓石はその当時石工がいたのか、カビの生えていない墓石にも謎が。
    そして、従軍慰安婦の戦後に寄り添ってきた森川さんも亡くなり、慰安所がどこにあったのか、その後のみなさんの暮らしももうわかりません。
    何かご存知であればお教えください。

    • kiyooka より:

      コメントありがとうございます。前回も書きましたが、日本人墓地に1、2回しか行ったことがなくしかも15、6年前ですので、記憶がはっきりしません。移転に関して、かなり長い準備期間を取られていたと思います。ですから、墓石は日本から、文字を彫り込んで輸送された話も、又聞きですが聞いた覚えがあります。それからお墓を管理している家族がいる話も聞いていますので、墓石などもきれいにされていたのかもしれません。森川さんから従軍慰安婦さん達が働いていた場所は、一緒に回りました。1箇所だけ記憶が不確かな場所があります。ダウンタウンの北東で、鉄道がすぐ横を通っていました。どこかの大学の寮になっていて、見学させてもらった時、男子学生がアイロンをかけていました。後ははっきりしています。1つは旧ペグークラブです。2つ目は現在YWCAになっている建物です。もう1つは近々、youtube を始める予定です。もう1ヶ月前に動画撮影は終わっているんですが、その中で言及しております。カンドージ湖畔です。

        • こやま より:

          お教えいただきありがとうございます。
          森川さんとあちこち歩かれたんですね。壁に書かれた日本語の散文詩(?)も一緒に読まれたんでしょうか。
          2年ほど前にYWCAに行ってみましたが、英語教室(?)になっているようでした。
          そのまま残っている筈ないですよね。そんなの、勝手な感傷ですかね。
          YOUTUBEを楽しみにしています。

          • kiyooka より:

            戦後75年でしょうか⁉️ミャンマーは2011年の民主化から10年目ですね。ものすごいスピードで全てのことが変化してゆきます。悲しいんでいても何も始まらないので、今はこの変化を記録してゆこうと思っています。

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