私はミャンマーに来たばかりの頃、この国を代表するモヒンガーという、朝食べる麺料理がダメでした。でもダウンタウンの51ストリートに10ヶ月住んだんですが、そこに有名なモヒンガー店があって、ほとんど毎日行きました。今は日本系のホテル51になってる場所です。店はその斜め前に移転してありますね。久しぶりに、こないだ食べに行ったら、1998年当時、40とか50ksだったお値段が、1000ksになっていました。25倍ですね。その店は超繁盛店で、少し遅れていくと、အားလုံးကုန်သွားပြီ アーロンコントワピ❗️全部売り切れた❗️とよく言われました。このကုန်コンと、ရန်ကုန်ヤンゴンのゴンは、同じ字なんですね。尽きるとか無くなるという意味です。
ここからが本題です。
1991年だったろうか?当時のミャンマーの軍事政権が、突然国名ビルマ(Burma)をMyanmar に、首都のRangoon をYangon に変更の発表があった。当時 この事は軍事政権に反対して、アウンサスーチーさんを応援している、世界中の人々から大きな反感をもって受け止められていた。でもこれは、首都ラングーンの名称は、当時の宗主国英国がつけた名称を、自国民が約260年前から呼び続けているヤンゴンという名前に変える、ごく当たり前のことに私には思われたのです。
お隣の国インドも、何年か前から、日本人にもお馴染みのボンベイがムンバイ。マドラスがチェンナイ、カルカッタがコルカタなどと、名前を変更したのも同じような理由でしょう。
今から24、5年前、ミャンマーに関する書籍を本屋で探してもなかなか見つからなくて、一方その頃からお隣の国タイは大変な人気で、何十冊という本がありました。それで書店に取り寄せてもらったりして、やっと4、5冊ほどミャンマーに関する本を読みました。
YANGON という名称は、1755年にビルマ族のアラウンパヤー王が、当時モン族の町だったダゴンを占領し、「戦いの終わり」を意味するヤンゴンという名称を付けたと、多くの書籍 ガイドブックにそう記載されていました。『でも本当にそうなんでしょうか?』
20世初頭のラングーン、まだビルがそれほど建ってませんね。
というのは、アラウンパヤー王は、まずモン族の都ダゴン(今のヤンゴン)を落とし、続いて今のタンリン(多くの日系工場があるティラワ特別区がある)やヤンゴンの北部のレーグー、そしてモン族の王都だったペグー(パゴー)を征服し、モーラミャインの手前のモッタマで戦死した(諸説あり)という。いずれにしても、現在のヤンゴン当時のモン族の町ダゴンでの勝利は、「戦いの終わり」でなく「戦いの始まり」なんですね。
ヤンキンセンターがあるヤンキンは、昔関所があったそうです。ヤンキンのヤンは、ヤンゴンのヤンと同じ字です。これは戦いという意味ですが。大野先生は「敵」の意味もあると書かれています。そうすると、ヤンキンは敵をなくす。同じくヤンゴンも敵を「全滅させる」ゴンが全部無くなると言う意味ですからね。大野先生は難しい漢字で、「敵の殲滅」(せんめつ)と書かれています。
敵を皆殺しにするぞ❗️」というダゴンを落とした勢いをスローガンのもとに、敵(モン族)を続けて落として行ったと考える方が、私には府に落ちるのですが、、、どうなんでしょうか?
いずれにしても1860年頃からヤンゴンの街が碁盤の目のように形成されていくうちに、他国や外国人にラングーンと呼ばれてきた訳だけど、そこに住むビルマ人たちはずーと変わらずヤンゴン(一説には当時はランゴンと呼ばれいた)と呼び続けけて来た歴史がありますから。これはヤンゴンという呼称に戻して正解であったと思うわけです。
特にヤカイン(ラカイン)州では、ビルマ語のYaをRaと発音していたので、英国は第一回の英緬戦争で、ヤカインを1824年に植民地化してたので、その後、今のヤンゴンがあるミャンマー中央部を、1852年2回目の英緬戦争で手に入れた後、ヤカイン訛りのランゴンとして受け入れ、その後、Rangon がRangoon に変化していったという見方もあります。
おまけ
モン族の町であったダゴンがヤンゴンという名称になった後も、私が世界一のパゴダだと信じるシュウェダゴンパゴダの名前の中に、今もダゴンの名称は残っていますね。また北ダゴン南ダゴンなど地名としても残っているし、ダゴンビールの名前にも使われている。私は最近缶のダゴンビールが大好きになって、ダゴンビールを飲みながら、在りし日のダゴンの町に想いを馳せているのは私一人でしょうね。(笑)
私は、これからも何度も申し上げると思いますが、私は専門家でも研究者でもありませんので、間違いがありましたら、コメント欄に温かな助言をお願いします。
勉強になりました。
先程 後藤先生から、コメントの返事の書き方、承認の仕方などならって、今返事書いてる。
再開おめでとうございます勉強になります色々な話題、マニアックなお話もを期待しています
返事の書き方がわからず、ずいぶん遅くなりました。
稲葉さんが来られていたミャンマーと、もうすでに別の国のようになってしまいました。いつかお子さんたちと家族全員でヤンゴンでお会いしたいですね。
勉強になりました。
知らないことが沢山有り「ふ~ん」や「ナルホド」の連発でした。