クーxxから一夜明けて、昨日の早朝から沢山の友人知人からの安否確認のメッセージを受け取っております。私は無事ですし、街は静かです。私の住まいはヤンゴン市街の一番賑やかしいダウンタウンを除けば、ベスト3から5には入る賑やかなところですが、その地区の西部にある家の前にカンドーヂ湖があり、シュエダゴンパゴダを望む、比較的ゆったりとした場所になります。
今朝もいつもの様に犬と散歩に出ました。途中いくつかホテルがあるんですが、海外の要人が宿泊されている時は、そのホテルの近所には銃を持った軍人とか警察が居るんですが、全く軍人の姿もありません。
ただ、いつもスポーツウェアーやシューズ、パンやコーヒーを売る4、5台の
車の屋台もないし、walkingしている人もいつもの10分の1でした。ちょっと不気味な静けさですね。
昨日、2月1日の朝一番に日本の友人からメッセージが届き、大丈夫か?と聞かれて、逆に何のことか分からず、クーXXーの報道が日本では大きく取り上げられていることを知りました。
でも、その友人に、何日か前からGun がクーXXを仄めかしているが、識者もミャンマーの憲法では、与党(スーチーさん率いるNLD)の承認無しに起こせないし、大丈夫と返事して、犬と散歩に出たのだ。
戻ると毎朝10000歩以上歩くので、またすぐ仮眠をとるのが日課です。そこへ友人からの電話で「スーチーさんが拘束された」と報告が来て、本当に起こったんだとその時になって分かったのだ。
それからネット、電話が出来なくなって、午後2時過ぎ?3時になってやっとネットがつながり、普通に使える様にはなった。
私は引きこもり老人なので、一日中家にいる事は珍しい事ではない。いろいろメッセージが届いていて。FaceBookで繋がってる、日本に住むミャンマー人から「xxxという日本のテレビ局のインタビューに答えてくれないか?」という内容だったが、即座に断った。悪目立ちしたくないことと、政治のことに関わらないことが、ブログやYouTubeを始めた時に、自分で決めた事なのだ。一つは日本にいた時から、非常に政治とか経済に疎い人なので、相応しい人選でないとお断りした。
でも今日になっても、たくさんの人からの安否伺いが届くので、現地の現状を伝えるのも、現地にいる者の役目じゃないですかと、ある方から言われて、それで今こうして、まとまらないまま書き進めているのです。
2日目の今日は、9時ジャストに近所のKBZ銀行にお金をおろしに行った。昨日から大変な行列ができているニュースもあってたが、この事態になる前から、3つくらいの用事でお金が必要だったので、待つのが非常に苦手な人間なのだが、一人お供も連れて行って、1時間くらい待たされて銀行内に入れた。結局家を出て1時間半で完了した。銀行の入り口付近に置いてある紙に、来た人から自分の名前を書き込んで、順番を待つのだ。私は67番目だった。
銀行側がプラスチックの椅子を用意してくれて、百人近い人が、銀行前の道路でおとなしく順番待ちしていて、混乱も騒動も不快な事もなかった。ただ午前10時くらいになると外は暑く、銀行内は逆に冷房が効きすぎて、寒いくらいだった。
2015年にアウンサンスーチーさん率いるNLDが、選挙に大勝利して政権を取った時に、でもすぐにタイの様にGunがクーXXーを起こすんではないかという、私の心配が今になって現実になったのだ。
私ごとだが実は、海外留学、海外移住を初めタイを想定して準備していた。しかし、タイで予定していた大学が、その年留学生を取らないと(理由は分からないがその年だけクローズになっていた)決めたので、急遽留学先を探して、落ち着いたのがヤンゴン外国語大学だったのだ。なのでタイの事は、タイ語も習い日常会話はできていた。バンコク週報も航空便で送ってもらって7年間くらい毎週通読していたし、本も何冊も読んでいたと思う。タイはクーxター大国なのだ。1932年から現在まで19回も起こっている。私が長期滞在していた1992年にも、のちに「暗黒の5月」と呼ばれるクーxターが勃発していた。当時中流以上の人は携帯を持ち始めた頃で、事件現場から実況放送などもあり、大変な騒ぎだった。
2010年の騒動では死者24名負傷者858名を記録している。次にタイで遭遇した騒動は、
2014年は、黄色と赤に色分けした壮絶な泥試合となって大型の武器なども使い出したので
軍が介入して、今現在もタイではG事政権が続いている。でも別段世界中から、以前のミャンマーのG政の様に叩かれていない。
ですから隣の国です。ミャンマー国軍がタイのクーXXを参考にしないはずがないと思う。それで今回もかなり以前から計画して実行したと思う。全ての大臣も更迭、拘束して、すぐに用意されていた座席に、用意されていた人物たちが座ったのだ。
ずっとXDayをいつにするか、チャンスを窺っていたのだと思う。
スーチーさんサイドも、そのことをあらかじめ警戒はしていたことが、今朝の新聞を見てはっきり納得した。うちはミャンマーアリンとチェーモン2紙を毎朝取っている。残念ながら先に話した通り、ほとんど政治も経済もオンチなので、ざーと読んで、ピュー族の遺跡の記事などがあると、切り抜いてスクラップにしているが、毎日新聞紙はすぐさま2匹いる猫と1匹の犬のトイレ用に使われる。それでこの頃大掃除もやったので、過去の新聞が6、7紙しか残っていない。改めてここ1ヶ月くらいを思い起こすと、スーチーさんの写真がものすごく減った事である。以前はとにかく表紙の1面、2面3面もスーチーさんのお姿を拝見しない日はなかった。その後選挙がおわって、バッタリを彼女の写真が減少する。残っている新聞を改めて確認すると、1月19日の新聞に、日本から来られた元議員さんとの2ショットが、大統領とその元議員さんとのツーショットと2つ並んで、スーチーさん自体の姿は極めて小さい。これ以外に彼女の姿は新聞紙上に見つけられなかった。以前は大アップで掲載されていたのに、この変化を今まで何も気づいていなかった。なのでスーチーさん側も、Gを刺激しない様に細心の注意を払っていたのだと思う。
だのに起こってしまったのだ。1年間Gが国政を運営すると表明している。ミャンマー人の友人に電話で聞いた話を、ここに一部を書き出してみる。
彼らGの狙いは2010年?発足のウテイセイン大統領時代の様な、軍主導の民主化なのだと。それでこの1年間でNLDの解体弱小化。スーチーさんが表舞台に出てこれない様な、仕組みを徹底的に推し進めていく事だと、友人は言っていた。最後に政権を取る前から、スーチーさんが言っていた言葉を思い出す。軍は軍の仕事をして下さいと、それ以上の言葉はないと想う。
他にもいろいろ聞いたが、とても全てはここでは書けないし、このブログも危ないと思ったら消します。
「悪目立ちしたくないことと、政治のことに関わらないこと」大事ですね。マスコミなんかに登場しない方がいいです。
「軍は軍の仕事をして下さいと、それ以上の言葉はないと想う」全くその通りです。
コメントの書き方が分からずにいました。コメントありがとうございます。やっと6年目のNLD政権だと思っていたら、こんなどんでん返しが待ってたんですね。しばらくは様子を見ておきます。