- 以下の文は、高校時代の同窓のウェブサイトに、「あの人は今」というコーナーに依頼されて、明日からネットが遮断されるという中、気合を入れて、一気に書いたものです。少し長いですが現地ヤンゴンからの報告になります。
現在の時間 2020年2月13日 9時45分
高校の同級生のKさんからメールが来て、今のミャンマーのことを書いて欲しいと言われて、ハイと答えたものの、2月1日にクーデターが勃発して、毎日様々な状況が変化してゆく中、どの道、経過報告しかできない事、文章を書くことはそれほど苦労しないのだが、政変とも言える歴史に残る重大な事を、書ける知識もないし、専門的な言語も語句も知らない事に、遅まきながら気がついて、それからミャンマーの三連休が終える2月14日から、2週間完全にネットが遮断されるというので、1日で書き上げて送る事になった。ですからあくまでも私の見聞ききした2週間の事を綴ってゆこうと思う。
去年の暮れから、yangon life 2 という、youtube とblog を2つ同時に始めた。
以前 ヤンゴンライフというblog を木村健一という名前で、ヤンゴンから発信していて、病気と裁判沙汰があって、2年半で辞めたので、blogの方は14年ぶりの再開という事になる。
Facebookでも毎日日々の動きを報告しているが、4、5日前に、やはりヤンゴン在住の日本女性がblog を書かれていて、現地のミャンマー人と結婚されている人なので、旦那さんは大学の講師、その妹さんは軍医と、夫の両親とお子さんもいらっしゃる方で、今ミャンマーで1番の言葉は、CDMという言葉です。公務員が軍の乗っ取り政府に不服従で仕事を辞める運動。でも、公務員宿舎に暮らす家族も多いし、家族の今日からの生活を考えると、易々とCDMできない人も多いと思う。その方の夫も徹夜して、考え込んでいた様子などが書かれていて、私のように、何も切羽詰まった事もなく、朝は相変わらず犬と散歩に出て普段通りの生活してる外国人とは訳が違う。緊迫した生活の様子などに、感動したのですぐにコメントしたら、2時間で本人が削除されていた。やはり夫や義妹さんの職業を考えてのことだと思う。
国民の反軍制のデモの様子は、多くのミャンマー人や日本人が、YouTube やFaceBook などで情報を発信されているので、それらを見て欲しいが、ブログでも書いたのは、過去の2007年の僧侶達のサフラン革命や、1988年のアウンサンスーチーさんが英国から帰国して、反政府運動、民主化運動の主役に担ぎ出され、1991年には自宅に軟禁されたままノーベル平和賞を受賞したフォーエイト8888といわれる運動も、今の若い人は直接には何も知らないのだ。何百人も罪もない人達が殺され、投獄され拷問を受けた人々も多い。
1990年の総選挙で、NLDが大勝利したものの、その結果を軍は反故にして、軍事政権を続行したのだ。卑怯で狡猾で恥知らずな蛮行の数々を、ここで書いていたら紙面が尽きてしまうが、軍の体質は今も全く変わっていないのが今回のクーデターだ。
クーデターとはそもそもなんなんだろう。タイは1932年から19回もクーデターが起こっている。現在も2014年に起こったクーデターで引き続き軍制である。前にも書いているが、この時はタクシン首相派と反タクシン派が、どちらがどの色か忘れたが、黄色と赤色に分かれた泥試合。農村部に人気のタクシン元首相。農民に金をばら撒くタクシンを嫌い、それに反対する都会派。それでも民主主義国家ゆえ最終的には選挙で決める事になる。しかし、選挙をすると数で農民が多いタクシン派が勝利する。それを嫌って反対派がまたデモをするで、大きな武器なども使いだしたので、軍部が介入しないと、市民戦争に発展しかねない状況だったので、仕方ない結果として、世界中がある程度認めた軍事クーデターだった。
一方、今回のミャンマーの軍事クーデターには、全くどこを切り取っても正当性のかけらも無い。
2020年の11月に行われた総選挙に(スーチーさんが率いるNLDが7割以上の票を集め圧勝した。)ほとんどの人が支持している政党である。その選挙に不正があったと、難癖イチャモンつけてクーデターをチラつかせていた。でも軍が以前に作った法律では、クーデターはその時の政権の与党が承認しないと認められないとあるそうだ。ある識者の先生が「それでミャンマーはタイと違い、クーデターが起こりにくい国」と言われていたのを、私も信じていた。
でも起こってしまって、初日にアウンサンスーチーさんを始め、各大臣も拘束して、軍が1年間政権を運営すると発表したのだ。1年で引っ込むわけも無いだろう。約束を破るのは大得意の軍政ゆえ。大臣等は解放したけれど、スーチーさんは未だ軍に拘束されている。
新聞社は随分前から、軍が押さえていたのが、新聞を見返すと分かる。
選挙前まで必ず1面2面3面はスーチーさんで埋められている。いつも素敵な民族衣装のスーチーさんを、(その事でこき下ろす人達もいたが) スーチーさんは政権与党NLD の顔である。それが選挙後、ばったりとスーチーさんの写真が少なくなってゆく、1月の終わりにはほとんど掲載されなくなっていた。それでおかしいと気付いていた人達も多い。
そして理不尽な軍事クーデターは現実のものになったのだ。
その後の新聞は、軍のトップが僧侶にスンカ(捧げ物)とか、(写真家のFB友がそのトップの将軍が防弾チョッキの上から軍服を着ていると指摘) 軍の病棟を見舞う、パゴダの境内を兵士が清掃する様子とか、デモ隊の投石で目が真っ赤になった兵士の写真とか、善行を積んでいるとアピールしていても、猿芝居を誰も信じていない。
市民たちの様子を少し書いてみよう。
クーデターの後2日目ごろから、夜8時に家の中より金物 ステレスの鍋などを叩いて音を出す抗議運動 昼間 車でクラクションを鳴らす抗議 そしてデモに多くの人が参加して、アウンサンスーチーさんの解放と、軍政を認めない事 などを標榜していて、割と平和裡にデモを行なっていた。19歳の少女が銃撃されてからは、軍はゴム弾だと説明するも、ヘルメットを貫通しての殺害であった。亡くなってないという情報も多く、軍が撹乱しているという噂もある。それから、デモ隊は1箇所に偏らず、連絡しあっているのか、うちの近所も2月10日くらいからエスカレートしてきた。でもコスプレや上半身裸のボディビルダーのデモ隊など、パレード化した行進も目立った。そんな中12日の深夜、CDM(不服従運動)の人の家に来て連行する蛮行が、あちこちで起こっている。しかし、友人のブログによると、友人知人が電話やネットで連絡しあって集まり、連行を阻止に成功した例もあるらしい。(拍手)
これもやはり2日前くらいだったか?刑期が終えていない、2、3万人の罪人を刑務所から解放したのだ。悪党罪人を世に放ち、空になった刑務所に軍に反抗する人達を押し込めるためである。
割と冷静にデモをしているヤンゴン市内だが、地方はオートバイが許可されているので、暴走族のようなデモを展開したり、「撃つなら撃てみろ!」と叫ぶ荒っぽい若者もいると聞いた。12日だろうか、モーラミャインの大学生達は、大学構内に閉じ込められ、門の周辺は軍人か警察隊が分からないが、厳しく見張っている映像を見た。
何度も書いたんだが、過去の民主化運動などと、今回の最大の相違は、ネット時代の反軍事政権運動なのだ。
それで、多くの人がスマホというカメラとビデオ機器を持っているので、映像は瞬時に、ミャンマー国中、世界にリアルな影像を発信できる。映像の力で、軍政が言い訳できない状況も多い。
しかし、軍はまずFacebookを遮断した。ミャンマー人はほとんどの人はFacebookをやっていて、YouTube 使用者は非常に少ない。でも市民はVPNというアプリを使い、Facebookを再び見られるようにしている。でも時々非常に繋がりが悪くなることも度々である。
そんな中、中国政府の協力を得て、2月14日の午前0時から28日まで2週間インターネットを完全に遮断するというのだ。( それで13日の午後6時頃からこの文章を書き進めている)
日本のニュースでは、背後に中国がいるという、アメリカ経由の情報が流れているそうだ。
そのネット遮断の件で、多くのデモ隊が中国大使館前に集結していた。
中国はミャンマーのお隣の国だ。スーチーさんは外務大臣も兼ねている。5カ国に囲まれたミャンマー。西の大国インドと、東の大国中国とどちらにも偏らない政策を貫かれていた。中国がミャンマー海底ガス資源をはじめ、人口増大に備えて農業国としても、中国はミャンマーを手中に収めておきたい。
私は1998年から2002年まで、ヤンゴン外国語大学で、ミャンマー語を学んでいた。初年度には同じクラス一人しかいなかった中国人。上級クラスに数人すごく優秀な中国留学生はいたようで。私がいた時代はそんなものだったのが、2007年くらい?だったか?中国人だけで90人居ると聞いた。また我々を教えてくれた数人の先生が、中国の大学に講師として勤務されている話も聞いていたので、中国がミャンマーに対する政策を、重要視し出したのは、その頃からではないかと思う。我々の時は日本人がクラスは違えども16人、韓国人が17人等、この2カ国が一番多かったのだが。
ここからは私感だが、武器を持ち中国の後ろ盾もあり、無血クーデターを簡単に成功したかに見える軍だが、ここまで市民の反抗が多いとは、想定内なのだろうか?
私が一番読んだ作家は、ダントツで司馬遼太郎氏である。彼の著書で日本史を学んだ。
司馬さん自身が軍隊の経験もあり、その中での発言で、印象に残っているのが、「軍人とは出世だけが人生の目標の人達」と断定してあった。
軍事政権時代(ビルマ式社会主義)のネーウィン氏、それに続くタンシュエ氏 沢山の利権と財産を築き、それと比例する以上の、世界中からの憎悪に晒されていた何十年。真の安寧も幸福もなかったと思う。そういうヤワな神経は持ち合わせていないかもしれないが、狡猾で卑劣で、疑い深く小心だと評する人もいる。今の軍のトップのミンアウンライン将軍も、新聞の写真を見て、以前に比べ痩せて、目の下のクマまで見て取れる。正当性のない軍事政権をそこまで、強引にあらゆる卑劣な手段を講じて、続けてゆくのだろうか?決して後世に評価されない最低最悪の為政者と名前が残ることを、喜んで受け入れるつもりなのだろうか?
何しろ時間が限られた中で書き連ねたので、すみません。まとまらないまま書き終えます。ミャンマー国に真の民主主義と平和が訪れることを祈りながら。
清岡道治
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