摩訶不思議な中国国境の町 マインラー ミャンマーなのにまるで中国本土のようなマインラーに行ってきた。
ကျိုင်းတုံ チャイントン → မိုင်း マインラー
ここはシャン州の東南部。地図を見るとマインとつく町が30以上ある。シャン語で集落とか町を意味する言葉と思われる。
今はチャイントンからマインラーの道は、整備されてかなりスムーズに行けるのではないだろうか?我々が行った2002年当時は、まだその道路は工事中だった。
S旅行社の企画で、旅行社のオーナーN夫妻と1歳の幼女。研究者のI君、旅行社のスタッフで日本語が堪能なMさん、そして私の6人だったと思う。私はチャイントン空港到着時に、ロストバゲッジで最初から大変な旅だった。チャイントンに2,3泊して、いよいよマインラーに向けて出発という時に、チャイントンの通訳兼ガイドの男が、態度が悪いので、Nさんが雇わなかったので、国境の町マインラーは通訳ガイド無しの旅行になった。
時期は中国の春節旧正月の時期である。マインラーは中国との国境の街で、もちろんミャンマー国内であるが、使われている時間制は中国時間。通貨も中国通貨の元だった。ホテルにはたどたどしいミャンマー語を話せるスタッフがいたが、街中では中国語しか通じない。お店の看板も中国語の下に、申し訳程度のミャンマー文字も付けてある。重ねて言うがここはミャンマー国内である。
困ったのは飲食だ。研究者のI君が、中国旅行中やっていたという筆談とか、指差しでなんとか乗り切った。なんか皆が私に「店選んでください」と言われて、それは日本で飲食店を経営していたことを話していたからだと思うし、一番年長でもあったからだと思う。それで私が勘で選んだ昼間の店はとても美味しく全員大満足だった。
それからミャンマー政府が建てた麻薬博物館とか、その庭に植えてあるケシの花などを撮影して、ケシの花はこの後ヘロインという麻薬になるとは思えないほど清楚で美しい花だった。純白と濃い紫色の花が咲いていた。
続いてカジノを見学に入ってみた。運動靴にリュックを背負った我々は、完全に場違いな訪問者であった。ここでのお客は中国人とワ族である。
言い忘れていた、ここマインラー麻薬の栽培と取引で栄えた街でワ族が住んでいる。かなりの自治権が許されている地域だと聞いていた。その当時のヤンゴンでは、ワ族の金持ちがヤンゴンの土地や建物を買いまくっているとか、彼らはピストルを常時持っているという噂はよく耳にしていた。
旧正月の祭りの中、夜の食事はどこにしましょうという話が、また私の方に皆んなが聞いて来た。車で市中回っている時に、火鍋という看板をみつけていた。火鍋とはホットポットとミャンマーでは訳されている鍋料理の店である。
その店は、ビルの建物が凹の形に道路から入った広場に周りに建物が並ぶ一角にあった。それで広場に車を止めて降り立つと。大勢の人がワーワー騒いでいた。何事かと人混みに入り見てみると。2人の男が物凄い喧嘩をやっている最中だった。顔を真っ赤に染めまさに怒髪天を衝く形相である。どちらの男も2、3人が体を押さえて、喧嘩を止めようとしている。私たちに近い側の男はシャツが引きちぎられ胸の下あたりからはだけている。どうやらそこはディスコの前なので、店から出されて建物の前で喧嘩の続きが展開している様子だった。ディスコの黒服のような若者もいた。喧嘩が少し沈静しかかった時、その黒服風の若いのが、何か言ったようだ。もちろん我々には何を叫んだか分からない。その一言をきっかけに喧嘩の2人から、この黒服に主役が変わって、手前側にいた男どもがその若者を追いかけ出したのだ。
必死になって逃げる若者。若者はスルスルと階段を上り2階の通路に出た。通路は広場から丸見えである。その時だった、私の隣に立っていた男が、本物のピストルを取り出したのだ。心底驚て、これはやばいと他のメンバーにも伝え、何しろ幼児までいるグループである。ましてや外国人でもある。我々は凹の入り口付近にあったお茶屋さんに逃げ込んだ。それと同時に、誰かが通報していたのだろう。ワ族の警察? 軍隊?黒っぽい車が2、3台到着した。すぐに2,3発、銃声が聞こえた。それは人に向けて放たれた訳ではなく、広場の入口に設置されていた、空気?ガス?で膨らまされていた大型の風船Gate を撃ったようだ。すぐにふくらんでいたGateはグニャリと力を失った人のように地面近くまで倒れて来た。
我々はお茶屋さんに入って、騒動に巻き込まれなくて良かったと安堵して、そこは外の騒ぎとは無関係に静かで別世界だった。店内に小さな小川が流れて小さな橋までかけられていた。お茶を飲み、甘い菓子なども食べたと思う。お茶葉などを買って小1時間そこで過ごしただろうか?恐る恐る外に出ると、その黒っぽい車も、人も誰もいなくなって、ピストルの標的になった風船Gateも、短時間でガムテープなどで修復したのか?元の姿に戻っていた。まるで何事もなかったように、辺りは静まっていた。それでその後我々はどこで夕食にありついたのか? 最初の目的だった火鍋の店に行ったのか? まるで記憶にない。
ホテルに戻る前も、酔っ払い同士の喧嘩、車が衝突してお互いに怒鳴り合っている修羅場を超え、やっとホテルの前に着くと。ホテルは急な坂の上に建っている。その坂道が真っ赤に染まっている。蛇のように連ねた爆竹が破裂した後の赤い紙が散乱して、赤い絨毯になっていたのだ。そして、真夜中まで、打ち上げ花火の盛大な大音響が響き、夜空を様々な色で染めていた。中国人は商売が上手い。よく働きよく稼ぐ。しかし、飲む打つ買うに結婚式、祭りには大金を注ぎ込む民族だと改めて思った。
ここマインラーはミャンマー国内のはずなのに、時間制も通貨も言葉も何もかもが中国の、多くの中国人?独自の軍隊を持つワ族の住む、ミャンマー国内の異国マインラーの旅はこうして終わった。
あれから17、8年が過ぎている。あのマインラーの町が、どう変わったか行ってみたい気もするが、やっぱりそれほど行きたいとも思わず。思い出話だけに終始してしまった。
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