ヤンゴンに住みついて、早くも24年。何やってたんだろうと思う日々である。働きもせず、日本人とも付き合わず、かと言ってミャンマー人の親しい友人もそれほど居る訳でもない。
勝手気ままに生きて来た。犬と散歩し、猫と遊び、しょっちゅう旅に出て、そうやって気がつくと齢67歳。父親と長兄が亡くなった年になっている。
次兄は60歳で早々と旅立った。母も姉も69歳で亡くなって、70歳を超えれない短命の一家なので、私もそれほど長生きできるとは思っていない。ヤンゴンに住み始めて直ぐに、「ヤンゴンお墓組」を表明していた。
それがいよいよ現実に近づいて来ている。加齢のスピードはいやましに増して。2年前チェンマイで交通事故にあってから後、精神的にも肉体的にも、あちこち老化が加速している昨今である。
ミャンマー人は、お墓を作らない。最初聞いた時驚いた。でもミャンマー人と話をし出して、一等最初に驚いたことは、苗字がない事だった。(少数民族には苗字がある人たちもいる。)日本の田舎に行くと、今でも先祖代々のお墓を守ってゆくのが長男の役目、長男が亡くなったら嫁の役目とか、そういう話を耳にする。福岡の実家でも、父が北海道出身なのでお墓が無かった。父親が亡くなった後、とにかくお墓が必要になり、母が子供達からもお金を出させて、あちこち探して墓を購入する迄の大騒動があった。
話をミャンマーに戻すと、ある日本女性がおっしゃっていた。ミャンマー人の夫が事故で亡くなって、直ぐに葬式、火葬があって、悲しみに暮れる中、骨を拾わなければと思い、ご主人の火葬の後、骨を拾いたいと申し出たら、その他大勢の骨が置かれている場所に、無造作に捨てられていて。もはやどれが夫の遺骨かも分からず。泣く泣くそのまま火葬場を後にしたと話された事があった。ミャンマー的には、人は死んでしまったら、そこでお終い。骨を拾うとか、分骨するとか、お墓を作るとか一切ない。従って、墓参りも先祖供養もない。
私も死んだら、どこかの海に散骨してもらって、それでいいと思っている。
今6人兄弟で残っているのは、私と妹と長女だ。長女は父親も違うし、6人兄弟の中で唯一結婚しているので、彼女は夫の家の墓に入るだろう。
去年7月(2019年)に福岡に帰省した折に、妹がズボラで、2012年に亡くなった次兄と、2016年に亡くなった下の姉の納骨をまだ済ませて無くて、ずっと家の中に置いていたのだ。やっと二日市の山の中にある墓地に行けて、母が苦労して買っておいた墓に納骨を済ませることができた。墓の維持費は亡くなった姉が支払っていたらしい。妹はそこに入るかもしれないが、私は真平御免でございまして、お金を支払うのがストップしたら、どこかにお骨を移して、共同墓地みたいなところで永代供養するという話だった。
先ほども書いたが、私は日本の墓に入るつもりも、子供も居ないし誰かに供養してもらおうという気も全然ないし、供養するべき先祖もいない。ミャンマー人と同じだ。死んだらハイさよなら、それまで。それでいいと思っている。
秋川雅史が歌う、♫私のお墓の前で、泣かないでくださいそこに私はいません、、、、、♬ という「千の風になって」という歌がヒットして、多くの日本人の墓に対する考え方にも変化が出て来ている。良い傾向だと思う。
ミャンマー人は、繰り返しになるが元より苗字が無いので、家名を守るとか、家の墓を継続してゆくとか、日本人が抱え込む大きな問題が、最初から存在しない。この事は、ミャンマー人の生き方。ミャンマー人のアイデンティティを考える上に、大きな意味を持っていると思う。
補足
ミャンマーに墓地が無いわけではない。時々墓地を見かけることがある。それはだいたい中国系の人達の墓地である。シャン州のカローにはクリスチャンの墓地を見たこともある。
チン州の山岳民族は、石を使ったお墓を作る習慣があった。
またミャンマーには民族も多く、少数民族の中にはチン族のようにお墓のようなものを作る民族もいると思う、ご存知の方はコメントでお知らせください。
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