サガーボン ことわざ(諺)2
語句や諺から解るビルマ族の最古の歴史
昔読んだ大野徹先生の著書より引用させていただいています。
ミャンマー語の(南)という単語と(山)という単語は同じです。これは
南に高い山があったと想像できます。(北)は(川下)という意味もあるそうです。
(東)は(前)、(西)は(後ろ)と同じ意味です。
それで、ビルマ語ができる場所が、こういう条件を満たす土地であったと推測できます。
つまり長江か黄河が北に流れ、ヒマラヤ山系が南にある地域。チベット自治区付近ではないだろうか?ビルマ語は、言語学的にもチベットビルマ語族に区分けされていますしね。
それから、諺に(海)が出てこない。ビルマ語の港は、ほとんど(河の港)である。
この事からも、ビルマ族が内陸から南下してやって来た民族であると想定できます。
ビルマ族がどこから来たかは諸説あります。ゴビ砂漠の近くで、東の漢民族に圧迫され、西は砂漠です。それで南下して行ったという説もあります。
今回の諺2は、
ヌワコエ ジャーカイ
နွားကွဲကျားကိုက် ကျားဆွဲ(ジャースウェ)とも云う。スウェの方が音韻が完璧だ。
牛が群れから離れると虎に襲われたり、引きずられたりするぞ。
ここで近年の世界的ベストセラーになったユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」
に詳しい。何故ネアンデルタール人に比べ、体格的にも劣る我々ホモサピエンスが、彼らに打ち勝てたかは、まさにこの諺である。
つまり集団を作れたのだ。洞窟の中のネアンデルタール人の住居跡などの調査などで、彼らは家族で行動し生活していた。大きくても30人くらいの人数。増えてくると別の住まいを探して分家して行ったようです。最大でも150人以上の集団の痕跡は見つかっていない。一方、我々サピエンスの祖先達は、大集団を作る事が可能だった。集落から村へ、町から国家に至るまで、サピエンスは集団で行動する事ができた。個々では弱くても、徒党を組むことによって、マンモスも倒す事ができたし、個々では強靭なネアンデルタール人を、数の力で勝る事ができたのだ。
この諺は、集団の中にいれば安心だ。集団から離れると危険であると教えているのです。
実際 私の知っているミャンマー人も、両親を敬い、家族愛が強いですね。友人も大切にしますし、集団の中の協調性、人付き合い、人との関係(ဆက်ဆံရေးセッサンイェー)が生きていく上に最も重要だと、考えているミャンマー人は多いと思います。
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